前回の記事では、ステロイドの副作用に耐えられず、主治医に「ステロイドを切りたい」と相談したところまでを書きました。
今回は、そこから私が「希望」を感じることができた治療との出会いについてお話ししたいと思います。
ステロイド副作用で心も限界だった高校時代
前回でも少し触れましたが、ステロイド治療の中で、私には強い副作用が出ていました。
特に辛かったのは、うつ状態、ムーンフェイス、そして顔中にできたニキビです。
思春期だった当時の私にとって、外見の変化は想像以上に大きなストレスでした。
友達と話していても、「汚い顔だと思われているのではないか」と強く感じてしまい、次第に人の目を見て話すことができなくなっていきました。
もともと私は、人と話すことが好きで、友達と笑いながらコミュニケーションを取るタイプでした。
それが、この病気と治療の影響で、徐々に人間不信になり、人間関係も希薄になっていったのです。
このような状況から、私は主治医に「ステロイドを切りたい」と相談しました。
しかし主治医からは、「難治性でステロイド依存性も強い。今はまだ続けたほうがいい」と説明され、その時点ではステロイドを中止することはできませんでした。
学校は休みがちになり、部活動にも顔を出せない日々が続いていました。
偶然の出会いが、転機になった
そんなある日、気晴らしのつもりで、親に連れられて近くの健康ランドに行きました。
そこで偶然、私の人生を大きく変える出来事が起こります。
当時、実家にはパソコンがなく、その健康ランドに設置されていた無料のパソコンで、自分の病気について調べていました。
そこで目に留まったのが、私と同じ難治性の潰瘍性大腸炎でも、寛解を維持できているという体験談でした。
読んだ瞬間、「これだ」と、なぜか強く感じたのを覚えています。
その記事は、広島にあるクリニックで行われている漢方治療についてのものでした。
すぐに親に相談し、「この治療を受けてみたい」と強く希望しました。
そのクリニックは広島にありましたが、電話で問い合わせると、一度受診すれば、その後はメールで経過を送ることで継続的に処方してもらえるとのことでした。
親は迷うことなく、「行こう」と言ってくれました。
夜行バスで約8時間かけて広島へ向かい、初めてそのクリニックを受診しました。
広島の先生は、私の話をとても親身になって聞いてくださり、漢方薬を処方してくださいました。
少しずつ、日常が戻ってきた
漢方薬を内服し始めてから、数週間のうちに、少しずつ症状が改善していきました。
体の変化を感じ、「もしかしたら、このまま良くなるかもしれない」と初めて思えた瞬間でした。
その後、地元の主治医にも漢方治療について報告しました。
正直、主治医はあまり納得していない様子でしたが、最終的には渋々了承してもらえました。
当時は、東洋医学を積極的に取り入れる医師はまだ少なかったように思います。
それでも、この治療のおかげで、大きく体調を崩すことはあっても、入院することなく高校生活を送ることができました。
大好きだったサッカーも、引退まで仲間と一緒に続けることができたのです。
これが、私にとって「希望に変わった治療」との出会いでした。
病気が、進路を考えるきっかけになった
この後、私は進路について考えることになります。
病気を経験し、支えられる側の立場になったことで、医療に携わる方々の凄さを強く実感しました。
「自分も、誰かを支える側の人間になりたい」
そう思うようになりました。
最初は看護師を考えましたが、夜勤のある働き方は、持病と付き合いながら続けるのは難しいと感じました。
調べていく中で、夜勤がなく、言語聴覚士という資格があることを知りました。
言語聴覚士は、コミュニケーションや食べること等を支援するリハビリ職です。
話すことが好きで、食べることも好きだった私にとって、これまでの経験を活かせる仕事だと感じ、目指すことを決めました。
大学受験では、高校時代の欠席の多さについて面接で指摘され、「難しいですね」と言われたこともありました。
それでも、なんとか大学に合格することができました。
大学生活の4年間は、入院することなく過ごすことができ、言語聴覚士の国家試験にも合格しました。
この数年間は、私にとって「普通の日常生活」を送ることができた、かけがえのない時間でした。
しかし、人生はそう簡単にはいきません。
社会人1年目から再び体調を崩し、また治療と向き合うことになります。
社会人になってからの治療体験については、次の記事でお話ししたいと思います。
⭐️治療編④|社会人一年目の再燃と退職 ― 働けるはずだったのに。



コメント